東京高等裁判所 昭和37年(う)1794号 判決 1965年8月10日
被告人 高木太郎
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日より二年間右刑の執行を猶予する。
当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人満尾叶、同井出甲子太郎連名作成名義の控訴趣意書中第二点及び第三点として記載されているとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。
論旨の第一は原判決には事実誤認の違法があるという趣旨である。しかし原判決に挙示する各関係証拠を検討すると、論旨に指摘する、被告人高木が日本海外商事株式会社とカート・オーパン・カムパニーとが鉄鋼類の輸入契約をした際に、実際の輸入契約価格よりも高価な額で輸入手続をし、その差額分として生じる外貨債権を回収して自社のニユーヨークの駐在事務所の経費等にあてようと計画した事実を優に認めることができるし、また右外貨債権を取り立てた場合に直ちにその取引によつて生じた諸費用に充当することができるという商慣習、即ち外国為替及び外国貿易管理法(以下外為法と略称する)上の集中義務規定の適用を排除し得る商慣習の存在を認めるに足りる証拠はないし、かつまた、所論のように仮に被告人高木が右のような商慣習があると認識し、その差額債権の費消を適法行為と信じていたとしても、それは即ち法律の錯誤に該当する場合であつて、あえて犯意の成立を阻却するものとはいえない。それ故右事実誤認を主張する論旨の第一は理由がない。
原判決には右のように弁護人の主張するような事実の誤認はないのであるが、原判決が被告人高木について罪となるべき事実として認定したところは、要するに、同被告人が日本海外商事株式会社の業務として、非居住者であるカート・オーパン・カムパニーに対する二万五千百三十六ドル五十七セントに相当する外貨債権を取得しながら、その期限到来後遅滞なく標準決済方法による取立をしなかつたという事実であるから、その判文自体から、原判決は同被告人の右行為を外為法(昭和三十三年法律第百五十六号による改正前の法律、以下同じ)上の外貨債権回収義務違反の行為であり、これが罪となる事実と判断、認定したものと思料される。しかし(一)外貨債権の回収義務を規定した外為法第二十六条第一項は、単に「当該債権の期限の到来又は条件の成就後遅滞なくこれを取り立てなければならない」と定めているだけであつて、標準決済方法により取立てることを命じているのではないから、原判決の認定事実は、同法条の違反行為としてはその構成要件たる事実に該当しないものであり、罪となる事実ではなく、(二)また若し原判決がその法律適用の項において示した外国為替管理令(原判決に同法施行令とあるは誤記と認める)第十条に違反する行為として被告人の前記行為を認定したものとすると、同令第十条の規定は罰則を伴う義務を定めた規定ではないから、たとえ同条に違反する行為であつたとしても、直ちにこれをもつて罪となる行為と断ずることはできないし、(三)更に原判決の前記認定事実に対する法律適用の部分をみると、外為法第二十二条第三号、第七十条第二十二号、外国為替管理令第十条、刑法第六十条を適用しているのであるが、外為法第二十二条は外貨債権等の集中義務を規定したものであり、またこれに対応する外国為替管理令の規定は第三条であるから、たとえ原判決が外貨債権の回収義務違反の事実を認定したものとしても、明らかに判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤を冒しているものといわなければならない。いずれにしても原判決には理由を附せず又は理由にくいちがいのある違法があり、また判決に影響を及ぼすこと明らかな法令適用の誤があるからこの点において破棄を免れないものである。
ところで検察官は昭和四十年四月六日の当審第十一回公判において訴因の変更、追加、罰条の変更を求め、本訴因の変更として当初の公訴事実より「標準決済方法により」とある字句を削除し、即ち起訴状記載事実中被告人高木が日本海外商事株式会社の業務として同会社がカート・オーパン・カムパニーに対し取得した起訴状記載の外貨債権を「標準決済方法により取り立てなかつた」との事実を単に「取り立てなかつた」との事実に変更し、罰条を外為法第二十六条、第七十条第七号、第七十三条、刑法第七十条と改め、更に予備的訴因として、被告人高木が原判示の二名と共謀のうえ、原判示の経緯により日本海外商事株式会社がカート・オーパン・カムパニーに対して取得した右外貨債権につき、法定の除外事由がないのに別紙のとおり昭和三十二年一月八日ころから同年九月十九日ころまでの間四回にわたり、ニユーヨーク市において自社ニユーヨーク駐在事務所を通じ、カート・オーパン・カムパニーから右債権に対する弁済として額面合計一万六千五百八十一ドル二十五セントの小切手を受領したにも拘らず、そのころこれを右駐在事務所の経費等に充てて費消し、もつて対外支払手段を取得しながら外国為替公認銀行等に売却しなかつたとの事実と、これに対する罰条として、外為法第二十二条、第七十条第二十二号、外国為替管理令第三条第一項、外国為替等集中規則第三条第一項、刑法第六十条を追加する旨申し立てたのであるが、右申立はいずれも適法であるからこれに対し更に審究することとする。先ず本訴因たる公訴事実について検討するに、原判決に挙示する各関係証拠(原判決の証拠説明中判示四の事実につき掲記している各証拠但し前同証号の三二とあるものを除く)及び当審の事実審理の結果を総合すると、被告人高木は田淵英男、古海志郎らと共謀のうえ、前記会社の業務として、起訴状記載のような意図のもとにニユーヨーク市所在の非居住者カート・オーパン・カムパニーと鉄鋼類の輸入取引をし、起訴状記載のような経緯によりカート・オーパン・カムパニーに対し起訴状記載の二万五千百三十六ドル五十七セントの外貨債権を取得した事実を認めることができるが、日本海外商事株式会社は、後記認定のように、右外貨債権に対する弁済として、別紙記載のように昭和三十二年一月八日ころから同年九月十九日ころまでの間に四回に亘り、同会社ニユーヨーク駐在事務所を通じ、額面合計一万六千五百八十一ドル二十五セントの小切手を受領したことが明らかであるから、前記外貨債権二万五千百三十六ドル五十七セントのうち右小切手額面相当の債権は遅滞なくこれを取り立てたものと認むべきであり、そして右取立分を控除した残額八千五百五十五ドル三十二セントについては、原審証人田淵英男、同古海志郎の各証言、井筒英明作成名義の昭和三十二年十月三十日付始末書及び被告人高木外三名作成名義のカート・オーパン・カムパニーに対する違反一覧表の各記載によれば、前記小切手の最終受領日である昭和三十二年九月十九日ころまでの間に右残債権は既に消滅していることが明白であり、ただその債権消滅の原因が本件小切手以外の対外支払手段による弁済であるか、或いは相殺、免除、譲渡その他の原因によるか、これを明らかにすることのできる何らの証拠もない(右一覧表によると、或いは取引上の債権債務の相殺が一部行われたのではないかとの疑がないではないがそれも明確ではない)。とにかく右差額債権は当時全部消滅していることが明瞭であり、その消滅の原因が取立以外の行為によるとの事実を証明し得る証拠は全然存在しない。してみれば結局二万五千百三十六ドル五十七セントの債権を遅滞なく取り立てなかつたとの変更後の本訴因たる公訴事実はこれを認めるに由ないものである。
検察官は外貨債権に対する右小切手による弁済は事実上の弁済に過ぎず、外為法第二十六条に定める外貨債権の取立には該当しないと主張するが、(当審証人飯沼治幸はその主張に符合するような供述をしている)所論のように、外貨債権につき小切手等の対外支払手段をもつて弁済として受領したときは、これを外国為替公認銀行等法定の機関に売却し、円貨を受領したときにはじめて右二十六条の取立がなされたものと解釈することは、外為法第二十六条の外貨債権の取立義務と同法第二十二条、外国為替管理令第三条の外国為替等集中義務とを混同した説であつて、(一)外為法第二十六条には単に債権を取り立てなければならないと規定しているだけであつて集中義務即ち売却義務を含むものと解せられるような文辞は全然ないし、(二)外為法が外国為替等の集中手段として同法第二十六条により速やかな回収の義務を定め、その違反については同法第七十条第七号に罰則を設け、同時に、同法第二十二条、外国為替管理令第三条に対外支払手段、外貨債権等の集中義務と集中の方法に関する規定を設け、その違反については右回収義務違反の場合とは別個に外為法第七十条第二十二号にその罰則を制定している法意に照らし、(三)また外国為替管理令第三条及び外国為替等集中規則第三条において対外支払手段及び外貨債権につき取立と売却とを区別して規定している趣旨に鑑みると、検察官の右所説には到底賛同することはできない。
そこで次に予備的訴因たる事実につき調査するに、原判決挙示の前掲各証拠及び当審で取り調べた各証拠を総合すると、右事実はすべてこれを認めることができるので、当裁判所は弁護人の爾余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百七十八条第四号、第三百八十条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に従い自ら次のように判決する。
当裁判所の認定する罪となるべき事実
被告人はもと東京都中央区八重洲三丁目七番地東京建物ビル内に事務所をおき貿易商を営む居住者たる日本海外商事株式会社の取締役営業部長をしていた者であるがその在職中田淵英男、古海志郎らと共謀のうえ、米国ニユーヨーク市所在のカート・オーパン・カムパニーとの契約に基く同国産鉄鋼類を輸入するに際し、実際の輸入契約金額より高価の金額で輸入手続をし、その差額分として生じる同会社に対する外貨債権を前記日本海外商事株式会社ニユーヨーク駐在事務所において回収し、これを同駐在事務所の経費等に充てようと企て、法定の除外事由がないのに同会社の業務に関し、昭和三十一年十二月六日ころから昭和三十二年六月二十日ころまでの間十七回にわたり、前記会社事務所において右カート・オーパン・カムパニーから実際の契約金額より高額で鉄鋼類を輸入し、非居住者たる同カムパニーに対する差額金二万五千百三十六ドル五十七セントに相当する外貨債権を取得したが、別紙のとおり昭和三十二年一月八日ころから同年九月十九日ころまでの間四回にわたり右債権の弁済としてニユーヨーク市において右カンパニーから日本商事株式会社ニユーヨーク駐在事務所を通じ額面合計金一万六千五百八十一ドル二十五セントに相当する小切手を受領しながら、そのころ右小切手金額を右駐在所の経費等にあてて費消し、もつて対外支払手段を取得しながら之を正規の手続により外国為替公認銀行等に売却しなかつたものである。
証拠の標目(略)
法律の適用
一 外国為替及び外国貿易管理法(昭和三十三年法律第百五十六号による改正前の法律)第二十二条、第七十条第二十二号(罰金刑選択)
一 外国為替管理令(昭和三十四年政令第百四十三号による改正前の政令)第三条第一項
一 外国為替等集中規則第三条第一項(昭和三十三年大蔵省令による改正前の省令)
一 罰金等臨時措置法第二条、第六条
一 刑法第四十五条前段、第四十八条第二項、第六十条、第十八条、第二十五条第一項
一 刑事訴訟法第百八十一条第一項本文
量刑についての意見
当裁判所が原判決の刑を軽減し、その刑に執行猶予を附した理由は
一 当初の起訴事実に比し当裁判所の認定した犯罪事実(予備的訴因たる事実)はその量、質とも相当軽減していること
一 本件は昭和三十二年一月から同年九月までの違反行為であつて、当時の外国為替及び外国貿易の管理の実状は、当今におけるそれとは相当の差異があり、法規上の制約も次第に緩和せられつつあることが審理上認められるので、被告人の本件違反当時の罪責をそのまま現在の量刑の根拠とすることは適当ではないこと
一 本件は被告人が日本海外商事株式会社の業務として行つた所為であつて、これがため自ら直接利益を得た事実は認め難いのであるが、同会社は被告人の本件違反行為(訴因変更前の事実)につき、同会社役員大久保利春らの他の違反行為と共に起訴されたところ、同会社が合併したため同会社に対する公訴は原審において全部棄却となり、被告人個人のみが処罰を受けなければならない事情となり、被告人にとつてはやや苛酷の結果となつたこと
一 被告人の本件違反行為の起訴と同時に、同会社の業務に関する外為法違反行為について起訴された原審相被告人たる同会社代表取締役大久保利春、同宮道猛夫の各違反行為、殊に宮道の犯行の罪責に比し、被告人の犯情は著しく軽いものと思料されること、
一 被告人には前科犯歴等皆無であり、その経歴、職業、環境、社会的地位等も量刑に斟酌され得ること
等の情状に因るものである。
(裁判官 久永正勝 井波七郎 荒川省三)